昭和歌謡に「幸せは~歩いてこない、だーから歩いてゆくんだよ~♪」って歌詞の歌がある。
この歌詞には、今はそれ程「幸せ」と思えなくとも
希望をもってコツコツ生きていれば幸せになるという意味を感じる。
当時の人々には心に刺さる歌謡曲だったのだろう。
が、今はどうだろう。
昭和初期から平成に生まれ令和を共に生きている私たちの「幸せ」の価値観はとんでもなく違う。
俗に言う「世代間のギャップ」だ。
個人の感覚では昭和の十年間に起こった出来事が令和の5年間に短縮されているように感じている。
物事が「激流のように変わる」アップデートの時代。
このカオスな世の流れについていけない?のか行きたくないのか?
正直どっちもある。
「生きていくために行かざるを得ない」が正解なのかも知れない。
それは平成生まれでも多少交わっている所と思いたい。
「行かざるを得ない」はカオスの大渋滞を起こし
もはや生きているだけで疲れるのだ。
トランプVSバイデン 子供の喧嘩の様なTV討論
東京都知事選の掲示板
兵庫県知事 罪の意識の欠如
人々の「幸せ」を願う代表としては疑問しかない。って言うかレベチすぎて笑える。
幸せを何で感じるかは人それぞれ。
権力・名声・お金・物質
これらはとどまる事を知らず長い年月を得てみたら無意味だったりする。
ニュースの一部の人たちの話しではあるが・・・。
限度を超え、ズレにズレまくっている代表者たちの感覚が
DNAに備わっているはずの「幸せ」細胞が減少しているのか?と疑ってしまう。
こうやって愚痴をキーボードを叩いているだけでやたら疲れる。
と言いながら疲れる理由は実のところ、文才のない自分に疲れるのだ。
話題を少しほっこり系に切り替え・・・
前回の「村雨」(仮)は7月の3日の30℃越えの日からぱったり姿が見えなくなり心配していたが、
11日に網戸の前で鎮座し、ジーっと部屋内の様子を伺っているではないか(((o(*゚▽゚*)o)))
暑さで何処か涼しい所に避難していたのだろう。
安心できる場所としてうちを選んでくれたと思いたい。
あれから近所で姿が見えるのは猫好きとしては嬉しい。
結局の所名前は「善」にしてみた。
近頃では「ゼン」と呼ぶと返事をするようになり、毎日姿を確認するまではソワソワしている。
ネコ繋がりで。
14年と2か月連れ添ったサトが6月14日に旅に出てしまった。
年を重ねる毎に可愛いが増す不思議な猫?
「猫」と言うより「サト」という単体だった。
まだうちに来て8か月凡そ1歳のサト。
なかよし~。
キリっ!
サトのあたらしいおうち。
「幸せ」な時間をありがとう。 サト・・・
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